ある日突然ぽとりと手の中に落とされた銀色のキィ。
鈍い色を放つそれが私に渡された意味を知った時の、あの喜びを、君は知っているだろうか。
017 あなただけのために
「老子、手を出してください。」
その日も突然押しかけてきた私を丁寧に家に入れてくれた申公豹は、
握り締めた片手を私のほうに突き出してそんなことを言った。
「なぁに、何かくれるの?」
「いいから早く。」
幾分声を強めて申公豹が言うので、私は不思議に思いながらも両掌を上にして、差し出した。
今日は何の日だったかな。
バレンタインでもないし、誕生日でもない。
うーん…勤労感謝の日でもないしな。ってこんな日は申公豹何もくれないか。
色々考えてみたけれど、何の記念日でもなかった。
と、そのとき申公豹の握られた手が開かれて、私の掌に何かが落ちた。
小さくて、少し重くて、銀色の、それは。
「え…?」
鍵だった。
しかも思い込みでなければ、それはこの家の…つまりは申公豹の家の鍵だった。
「…。」
今私はとんでもなく間抜けな顔をしているのだろう。口が開いているのが分かる。ぽかんと。
「な、なんです…もうちょっと驚いたらどうなんですか…っ」
「驚いてるよ…。」
驚きすぎて、表情が作れないんだけど。
え、だって、これが渡されたって事は、つまりいつでも入って良いってこと?
君が帰っていなくても。
君が眠ってしまった後でも。
いつでも君と。空間を共有しても良いってこと…?
そんなの、嬉しすぎる。
「べ、別に変な意味じゃないですからね!貴方が私が帰ってくるまで家の前で待ってたりすることがあるから…
近所に変な噂たてられたくないですし…」
頬を赤くし、目を泳がせながら申公豹が私に言う。
…つい最近まで家の前で待ってた男が合鍵持ってる方が、変な噂になっちゃうよ。
ほんと…嘘つくのが下手だね、かわいいなぁ。
「と…とにかく渡しましたからね、要らないなら捨て…」
「要らないわけないじゃない!」
そんな勿体ないことするものか。
めずらしく、とっさに叫んでしまった。
「要らないわけないよ、だって申公豹の家の鍵だもの。」
他の誰でもない君のキィ。
たとえ自分の家の鍵をなくしたって、絶対君のはなくさない。
「じゃ、ぁ…なくさないでくださいね。二度も…作りませんからね。」
まだ照れが残っているのか、そう言って申公豹は後ろを向いてしまった。
髪をかけているので片方だけ見える耳が、赤くなっているのが見えて、どうしようもなくなった。
だから愛らしいその耳に、背後から口付けを落とした。
「ひゃっ…も、もう!何するんですか!?」
「だってかわいいんだもん。」
「理由になってませんっ」
怒って逃げようとする申公豹を後ろから抱き込む。
無駄な抵抗だと悟ったのか、数秒バタバタと暴れた体は、すっぽりと私の腕の中に納まった。
「絶対無くさないから。…ありがと。」
言い足りないほどの感謝を込めて耳元に捧ぐ。
「…どう、いたしまして。」
返って来た言葉には、彼特有の、柔らかく優しい雰囲気がした。
その日、帰り道の空は、都会では珍しいぐらいの満天の星空だった。
けれど私はそんな風景そっちのけ。
見つめるのは手の中の銀色のキィ。
閉じては開け、開けては閉じ、時ににやけ、また見つめる。
「嬉しいなぁ…。」
まさかこんな普通の日がとんでもなく嬉しい日に変わろうとは、夢にも思わなかった。
突然舞い込んだ銀色のキィ。
君と私を繋ぐ鍵。
君がくれた私のためだけのキィ。
この喜びを、なんて言おう…?
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せっかく違う家なんだから、合鍵は要るよね!というアバウトな理由で出来た話。
ただ問題は、申公豹ん家の合鍵持ってたら老子は自分ん家に帰らなくなるんじゃ
ないかっていう…話…ですよ、ね。
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