僕にとってはこれ以上はない愛らしい唇があの白く柔らかい果肉を食み、
  かぶりつかれた果肉はほろほろと甘く泣く。
  その甘い蜜が彼の唇と顎をすべり、一方で彼の手もその蜜で甘く染めていく。
  それに気づいた彼は少し不愉快そうな顔をして、口元をぬぐい、その細い指を赤い舌でなめた。


   026 私は耐えましょう



  (…えっろいなぁ……。)


  普通の人がやったらむしろ不格好にみえるその動作も、彼がやれば蟲惑的というかなんというか。
  とにかく僕を魅了してやまない。
  ちなみに彼はただ桃を僕の前で食べているだけだ。
  しかしその蜜がこぼれ、ぬぐい去るまでのプロセスがどうしようもなくて、とにかく目が離せない。
  ここまでくるといっそ才能である。
  そんな才能はいらないと彼なら一蹴するだろうけれども。


  「…ゼン、楊ゼン。」
  「!はい…っ?」


  しまった、見すぎていた。
  群青の目がおっとりと僕を見つめている。


  「食べないんですか?」
  「へ?」
  「それ。」


  それ、と手元を指され見てみると、手には皮を剥かれたままの桃があり、あわててかぶりつくと、
  それはすっかり手の温度でぬるくなってしまっていた。
  甘ったるい匂いが鼻につく。
  彼の桃はあんなにも美味しそうだというのに、僕のはさして美味しくもなければ不味くもない。


  「もしかして桃嫌いなんですか?」
  「いえ…そういうわけでは無いのですが…。」


  どうも貴方の桃の方が美味しそうな気がして、と言いかけてやめた。
  これでは兄妹のお菓子の取り合いとさして変わらない。均等に分けたのに「お兄ちゃんの方が大きい!」的なあれと同じ。


  「…。」


  僕はもう一度彼を見た。
  彼はまた一枚皮を剥いて、その果肉に唇を寄せている。


  ああ、でもやはり、美味しそうだ。
  いや、美味しそうなのは、彼か…?






  彼との距離は30センチ、間には無造作に置かれた彼のグローブ。
  

  彼の細い手首をつかんで、距離を埋めればあっという間に彼の甘く照った唇は僕のものになった。
  驚いた彼がいささか強く桃を握ったのか、彼の手首を伝って僕の指にも溢れた蜜が流れてくる。
  指から甲、手首、それから肘へ、服に隠れて見えないくせに小さな不快感を残しながら流れていく。

 
  食んでいた彼の唇を放すと、彼はきょとんとして大きな目をこちらに向けていた。
  咎めるでも怒るでもないその視線は、逆に僕を不安にさせ、僕は目を逸らして苦し紛れにこう呟いた。



  「…おいしそうだったので、つい…」



  なんとまぁ間の抜けたセリフだろう。
  でも嘘ではないのだ。本当に美味しそうだったのだから、彼の唇は。
  ああでも…呆れられる…。
  そのうち彼の溜息が聞こえてくるのだろうと思うと自分の幼さに泣けてくる。
  

  小さく肩を落としていると、ぽんぽんと肩を叩かれて、何事かと振り返ると随分至近距離に彼の顔があった。


  「え。」


  ぺろり。
  そんな擬音が一番しっくりくるんじゃないかという、一瞬かつ繊細かつキュートな振る舞いで、彼は僕の唇を舐めた。


  「し、申公豹…!?」


  吃驚して持っている桃を放り出しかねない僕に、彼はおっとりと。


  「おいしそうだったので、つい。」


  あなたと同じですよ、何をそんなに驚くことが?
  と言いたげに、僕の白金は小首をかしげて先の台詞をのたまうので、僕は頭を抱えた。


  ああもうほんと今すぐここで押し倒していいだろうか。
  今なら何やっても「おいしそうだったので」で済まされそうな気がしないでもない。
  外だけど。
  真昼間だけど。
  …。
  ……。


  ちらりと彼を見てみると、まだ桃にご執心の様子で、その白い指で皮を剥いでは、果肉にかぶりついている。
  隣で悶々としている僕のことなど知りもしないだろう。
  おいし、と頬を緩めている彼に対して、こんな邪心を持って自分はどうも駄目なような気がして、
  仕方なく僕は、ますますぬるくなってしまった自分の桃を乱暴に食んだのだった。




  「甘…。」













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  こんな感じに日々楊ゼンは耐えています。
  でもときどき耐え切れなくなります(笑)
  それにしても申公豹の食生活がわかりません…。


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