安心とか
  信頼とか 
  愛だとか
  
  
  以前は全て手の内にあったはずなのに
  一体どこにいってしまったんだろう
  
  
  こんなに
  こんなに
  

  探しているのに



   048 お願いします


  「申公豹、」


  安心。心が安らかに落ち着いていること。不安や心配がないこと。また、そのさま。*
  心は波風立てずに落ち付いている。
  でもそれは安心しているからではないと断言できる。
  ただ単に動かないだけだ。


  「申公豹ってばぁ、」


  信頼。信じて頼ること。**
  …一体誰を?


  「しーんこーひょーってばぁあ!」


  愛。対象をかけがえのないものと認め、それに引きつけられる心の動き。またその気持ちの表れ。相手を慈しむ心。思慕の情。***
  そんなもの、わからない。
  わからない。


  パタン、と書物を閉じて置いた。
  机に本の角が当たって思いのほか大きな音が出てしまった。
  傍らの大きな霊獣の体が、跳ねる。


  「…ご、ごめんなさい。怒った?」


  なるほど。本を読んでいるところを邪魔したと思っているらしい。
  私は読書の時周りの音なんか気にならないから、気に病まなくたっていいのに。
  横を向くと、不安そうに揺れる薄黄色の瞳と目があった。


  「…いえ、別に。」


  何と言ったらいいのか分からなくて、短くそれだけを告げた。
  あまり目を見るのも悪いかと思って、視線をずらした。
  クロは…、…。…黒点虎は、私が声を発する前よりも、悲しそうな顔をしたような気がした。


  「どうかしましたか。」
  

  名前を呼んでいたのだから、何か用事があるのだろうと思って問うた。
  さみしい顔をした霊獣は、それでも笑って言った。


  「もう、夜遅いよ?眠たくない?」
  

  道士になった。
  だから食事と睡眠は、無くても問題ない。
  けれどしばらく慣れるまでは、以前と同じような生活リズムをとれと、老子がいっていた。


  「眠くはないですが、寝ます。」


  そうしないと、次の日、身体が思うように動かなくなることが分かっていた。
  ようするにまだ慣れてない、ということなのだろう。


  本をしまって、寝台へと歩く。黒点虎が、私の後についてくる。
  寝台に転がって灯りを消せば、部屋の中は真っ暗になった。
  ごそごそと黒点虎が寝台の元で動く音がして、それから先は無音の世界。





  「ねぇ黒点虎。」


  その世界を割いたのは私の声だった。


  「ん…?」
  「確かに知っているはずなのに思い出せないということは、忘れてしまったということでしょうか。それとも、」


  …それとも最初からそんなもの、知りもしなかったのだろうか。


  「それとも、…何?続きは?」
  「…。いえ、やっぱりいいです。気にしないでください。…おやすみ。」
  「え、あ…うん…。…おやすみ申公豹。」


  黒点虎の声色は、府に落ちない様子だった。
  私はそれを気付かないふりをした。
  顔が隠れるまで布団を引き上げて、身を丸めた。



  以前は全て手の内にあったはずなのだ。


  安心とか。
  信頼とか。
  愛だとか。


  どこに行ってしまったんだろう。
  どこで落としてきたんだろう。
  どうしたら見つかるんだろう。


  誰か教えて、
  だれか、


  お願いだから。








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  突発。
  家出の一歩手前って感じですかね。
 
  * ** ***共に大辞林から引用。



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