082 緩やかに抱きとめて
手を伸ばせば、触れられると思ったのに、今日は空気に触れるだけで手はシーツにぽとりと落ちた。
何度か角度を変えて繰り返してみるけれど、手には何も当たらない。
「んぅ…」
仕方ないから半分目を開ける。
そこはもぬけの殻だった。
(…さむ……。)
クーラーが、効き過ぎではないだろうか。この部屋。
いや…私が服を着ていないから…なのだろうか。
被っていたタオルケットを引っ張って暖を取ろうと思ったのだが、やはり寒い。
「……。」
身体を半分起こして、タオルケットを身体に巻いていく。
すぐに起きようとすると立ちくらみがしてかなわない。
しばらくしてからもそもそとベッドから這い出した。
「っ…?」
床に足をついて立った瞬間、がくんと身体が崩れて驚いた。
腰に力が入らない…。
思い当たる理由が一つしかなくて、なんとなく恥ずかしくなる。
もう一度慎重に立って、自分のものではない家の中を歩く。
寝室にはいない。
リビングにもいない。
トイレだろうか…?
そう思って周りを見回すと、当たり前だが所々に生活の跡が見えた。
無造作に置かれた数冊の本。
脱いだままの服。
ボールペンの転がった机(あまりにも酷かったので昨日私が片付けた)。
中でもリビングの大きな窓は一際目を引く。
カーテンが半分開いていて、外の景色が見えた。
ここはマンションの最上階だから、眺めがいい。
よくこんな良い部屋を見つけたものだな、と感心する。
…あの人がこのまま綺麗な状態で部屋を維持できればいいのだが。
まぁ…あの人の辞書に「片付け」という文字は無いようだから期待するだけ無駄なのだろう。
情事の後処理はきちんとするくせに…。
(…いませんね…。)
トイレに入っている様子もない。
バスルームも使われていない。
一体どこに行ったのか。
書斎…にいるわけがない。
大体あの部屋は医学辞典やらなにやら大概は洋書で小難しそうな本が所狭しと並べられている…というと
インテリな感じがして聞こえが良いが、とにかく本が散乱しているだけの部屋だ。
前に「入るだけで頭痛がする」とか何とか言っていたからいないだろう。
あ。
なんで気付かなかったんだろう。
呼べばいいのだ。
「ろ…」
…。
そこまで言って止めた。…声もうまく出ない。掠れきっている。
やはり理由が分かっているだけに、いたたまれない気分。
しかたない。
やはり探すしかないらしい。
でも、もうあまり探す部屋が無い。
もしかして外に出たのだろうか?
外、外…
(!)
はっと思い当たってリビングまで戻る。
さっきは遠くで見ていただけの窓まで近寄って、半分閉まっているカーテンを全開にした。
(いた…。)
ベランダに見慣れた浅葱色を見つけた。
道理で部屋を探し回ってもいないはずだ。
(?…こっち、向かない…)
ベランダの柵にひじを置いて、その上に頭を乗っけている太上老君は、ガラガラと硝子戸をあけても何の反応も示さなかった。
不思議に思って横から顔を盗み見る。
(…寝てる。)
何もこんな所で寝なくても良いのに。
ふぅ、と息をついて少し呆れる。老子の寝つきのよさは天下一品だと思う。
夜もこれくらいさっさと寝てくれれば、私は余計な体力を使わなくて済む筈なのだが。
大きな声が出ないので、老子の体をありったけの力で揺すった。
起きて。
私ももう少し寝たいんです。
でも寒いんですよ。
だから起きて。
「ぅ、んー…?」
良かった。起きてくれた。
ぼぉっとして半目の老子が目を擦りながらこちらを向いた。
「申公豹…?」
「こんな、とこで寝たら…身体を、痛めます…。」
「え?あ…ここベランダ?」
「そ、です。」
「…申公豹…声、嗄れちゃったね。」
そっと、綺麗な指が私の喉に触れた。
別にすぐ治りますからいいです、と返すと、ごめんね、と言われた。
そんなこと言わなくいて良い、と言おうと思って口を開きかけたら老子がいきなり血相を変えたのでびっくりした。
「――っっこ、こんな格好でベランダ出て来ちゃダメーーーっ!!」
「は…?」
いきなり勢い良くタオルケットの前を閉められたと思ったら、そのまま部屋の中に戻されてしまった。
「なんで、です?」
「誰かに見られたらヤだもん。」
むっとむくれた顔の老子が言った。
…。誰も好き好んで男の全裸にタオルケット一枚の姿なんて見ないと思うのだが。
まぁいい。
これで老子は起きたのだからさっさと当初の目的を果たしてしまおう。
そう思って、ぐい、と老子の上着を引っ張った。
「ん?」
「こっち、来てください。」
老子の上着の裾を掴んだまま、私は目的地に歩き出した。
本当、クーラーが寒い。
「ここ。」
ぽん、と私はベッドを叩いた。
それを見た老子が、目を丸くする。
「え、何、もしかして誘」
「違います。ヘンなこと、しないでください、ね。」
嬉しそうな老子に先に釘を刺す。
もっとも言ってどれくらいの効果があるのかは謎であるが。
うなだれた老子がベッドに横になったのを確認して、その隣にもぐりこんだ。
「どうしたの?」
「…眠いんですけど…寒いです。」
「クーラー?切ろうか?」
「切ったら暑いです。」
「じゃぁ温度上…」
「いいから。…このままでいいんです。」
そういって、横を向いた老子の胸に埋もれた。
体温が心地いい。
しばらくすると、背中に腕が回されて、ふわりと引き寄せられた。
「老子…?」
「こうしたらもっとあったかいでしょう?」
金の目が細められて、身体の距離は近くなった。
あったかい。
そう、この優しくも不器用な体温を求めていた。目が覚めてからずっと。
外は風が強いから。
中はクーラーが寒いから。
今は貴方の体温が欲しい。
触れる服からは、ベランダで染み込んだ太陽の匂いがした。
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さて、ここで問題です。
老子はどれくらい申公豹に手を出さずにいられるでしょうか。
答え、皆さんの想像におまかせ。
ナチュラルに事後ですいませんでした…。
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