ピンポーン。
  太上老君が申公豹の家の呼び鈴を鳴らす。
  時間は午後7時20分。季節は夏真っ盛り。外は暗くなり始めたばかり。


   涙にぬれたしょっぱい


  数十秒扉の前で待つ。
  がちゃ、とロックを外す音が聞こえて、申公豹が顔をのぞかせた。


  「っ?」


  そしてその申公豹を見るなり、太上老君は驚いて息をのんだ。
  なぜなら、出てきた申公豹は目を赤く腫らし、今まで泣いてましたと言わんばかりの顔をしていたからである。
  上目がちに覗いてくる表情はなんとも切なげで、目の淵にはまだうっすらと涙が溜まっている。


  「…老子?」


  涙声で名前を呼ばれ、太上老君は思わず申公豹の身体を抱き寄せ…
  ――大きな群青色の目の淵にキスをした。
  
  
  たっぷり十数秒間、沈黙がおりる。
  申公豹の見事な固まりっぷりに、どこか空気がおかしいな、と薄々感じ始めた太上老君だったが、時すでに遅し。


  「…な、」
  「な?」


  「――ッなにするんですか玄関先で!!入れませんよ!?」


  申公豹の怒声と共に、どご、と鈍い音で鳩尾に拳が叩きこまれ、太上老君はその場にうずくまった。
  え?なんで?心配しただけなのにっ?と疑問符を飛ばしつつ、太上老君は顔をあげて申公豹を見た。
  …うわぁ、めちゃくちゃ怒ってる。
  

  「だ、だって申公豹…泣いて…」
  「?」
  「泣いてる…涙が…」
  「涙?…ああ、」


  右手で自分の目元に触れて、ようやく太上老君の言っている事を理解した申公豹は、気まずそうに視線をはずした。
  もごもごと言いにくそうに口を動かしている。


  「……ってたんです…。」
  「え?」
  「たまねぎ、切ってたんです…!」


  半ば逆ギレしたように言う申公豹の頬は少し赤くなっていた。なんとなく恥ずかしいのだろう。
  なぁんだぁ。と申公豹が悲しくて泣いていないことに安堵した太上老君はへら、と笑った。
  まだ少し痛む腹を押さえながら立ち上がろうとすると、すっと白い手が差し出された。


  「あの…殴って、すみません…。中、どうぞ。」
  「ありがと。」


  差し出された手を取って、太上老君は立ち上がった。
  申公豹が料理をしていたのは本当らしい。今まで気づかなかったが、彼は腰にギャルソンエプロンをしていた。
  シックなカフェっぽいエプロン。
  そのエプロンの腰のリボンがひらひらと揺れるのを見ながら、太上老君は申公豹の家の中に入っていった。


 

  「適当にしていてください。」
  

  太上老君をリビングに通すと、、申公豹はさっさとキッチンの方に行ってしまった。
  まだ調理中なのか、トントンと規則的な包丁の音が響いてくる。
  見たいテレビもないし、彼の家の猫は近づいて来もしないので、暇である。
  しばらくソファに座って呆けていた太上老君は、ソファ越しに後ろを見た。
  申公豹の家はオープンキッチンなので、振り向けば調理中の彼を見る事が出来る。
  ほんと、大学生が一人で住む家じゃないよなぁ…と思いつつ、太上老君は作業中の彼を見つめた。
  申公豹の料理はおいしい。
  味付けもすごく好みだし、仮に失敗したとしても呑み込みが速いから何回か練習すればすぐ出来るようになってしまう。
  太上老君が初めて家に来た時はまだ料理本を片手に料理をしていたはずだが、今ではもうそんな本も見当たらない。
  キッチンの中でくるくると動く彼は、太上老君にはとても可愛らしく映る。
  じっと待っているのも退屈になってきて、太上老君はキッチンに向かった。


  「…何作ってるの?」
  

  声を掛けると、ボールの中の物をこねていた申公豹が顔をあげた。
  華奢で白い手が赤い肉の塊に埋まっている様は、なんとなくグロテスクだ。


  「ハンバーグですよ。」
  「あ、私それ好き。」
  「お子様味覚ですもんね、あなたって。」
  「うん。オムライスとかチャーハンとかも好き。」
  「…カレーも?」
  「もちろん。」
  「ちゃんと野菜も摂ってくださいよ。」
  「うーん。申公豹が野菜料理作ってくれるならがんばるよ。」
  「はいはい…」


  言ってなさい。と呆れたような笑い声が申公豹の口から洩れて、太上老君もつられたように笑った。
  こねられた肉は丸く成形されて、熱されたフライパンの上に乗せられていく。
  じゅうじゅうと美味しそうな音をあげて焼かれていくハンバーグ。
  フライパンを見つめる申公豹の目は、まだ少し赤く腫れていた。
  吸い寄せられるように、太上老君はその目尻に唇を寄せた。
  当然、気付いた申公豹が避けようとするが、構わず抱き寄せてキスをした。


  「っちょっと、やめてください!」
  「もう玄関先じゃないし、いいでしょう?」
  「場所の問題じゃありませんっ、それに調理中、」
  「ねぇ、申公豹。…さっきの、痛かったなぁー…」


  申公豹の鳩尾のあたりを撫でながら、太上老君が呟く。
  痛かったのは本当だが、別に責めているわけではない、からかいたいだけなのだ。


  「あ、謝ったじゃないですか!」
  「言葉以外でもお詫びがほしいなあ。」
  「な、にを言って…」


  顔をぐっと寄せながら言われて、申公豹がたじろぐ。
  フライパンの上では、ハンバーグが裏返されるのを今か今かと持っていた。
  これ以上は焦げてしまう、と動こうとする申公豹の手を太上老君が掴んだ。


  「こ、げてしまいます!」
  「キスしたら放す。」
  「はぁ!?」
  「申公豹が、キス、したら、放す。」


  単語を区切って言われるが、そう言う問題ではない。
  冗談も大概にしてくれと申公豹は訴えるが、太上老君の目は本気だった。
  フライパンは一層勢いよく音をあげる。
  申公豹はやけくそになって、太上老君に一瞬だけ唇を押しあてた。
  その瞬間緩んだ腕を振り払って、申公豹は慌ててハンバーグをひっくり返した。
  多少焼けすぎてはいるが、どうやら焦げは免れたらしい。


  「ほっぺかあー。」
  「ッなに残念そうに言ってるんですか!!本当に怒りますよ!?」
  「ごめんごめん、ありがと。もう何もしないよ。」


  これ以上何かしたら殴りとばす、とガンを飛ばした申公豹に笑顔で返して、太上老君は軽い足取りでソファまで歩いて行く。
  それで良かったのだが、あまりにあっさり離れて行ったので、申公豹はどこか腑に落ちなかった。
  ソファを見ると、太上老君は満足げに寛いでいる。
  どこかスッキリしないが、まぁいいかと強張っていた肩をおろした申公豹は、再びフライパンを覗き込んだ。


  (ま、ごはんを食べた後のことは保障しないけどね。)


  ソファの上で太上老君が、ほくそ笑んでいるとも知らず。











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  もちろん食われますヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

  老子はお子さま味覚、申公豹は渋め、だったら萌える。
  キッチンプレイに持ち込みそうになるのをなんとか堪えました。
  みなさんニンジン派ですか?それともキュウリ派ですk…げふんごふん。



  10/8/1


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