何かが芽生えていることさえ気付かずに。
  行動ばかり大胆になって。



   ただそれだけの愛情なき






  「っ…」


  息を呑む音が聞こえる。
  壁に押し付けた小柄な体の主は、さして大きな抵抗もせずに荒っぽい口付けに耐えていた。
  縮こまった舌を引きずり出して絡めると、苦しそうに息がもれる。


  「ふ…っん、ぅ……」


  さして意味は無かった。
  仕事をしていたらいつの間にかそいつは部屋にいて、帰れと言っても居座り続け、騒ぐわけでもないのでそのままにしておいた。
  数時間後、仕事が終わって書類から顔をあげると、その気配はまだ消えていなかった。
  窓枠に片膝を立てて座ったままの道化師は、私の顔を見て微笑いかけた。
  ただそれだけの事だ。
  …ただそれだけのことなのに、何故こんな事をしているのだろう。


  「…聞仲、」


  やっとのことで空いた唇の隙間から、申公豹は呟くように私の名を呼んだ。
  銀色の糸が二つの唇を繋いで、切れる。
  そこでようやく事の大きさに気づいて、慌てて押さえつけていた身体を離した。
  …何をしているのだろう。
  気まずくなって視線を外す。
  しかし、文句の一言も言わなければ、この部屋から出て行こうともしない申公豹を不思議に思って、一旦外した視線を少しだけ戻した。
  見れば、グローブをはめたままの指で、ゆっくりと唇をなぞっている。
  驚いているのか、そうでないのか、それすらも良く分からなかった。
  群青の大きな眼は、ぼんやりと床の方を見つめている。
  ふと持ち上げられた群青と、目があった。


  「…なぜ…?」


  また、呟くように申公豹が言った。
  なぜこんな事をしたのかと問いかけてくる。
  じっとこちらを見つめる大きな眼は、揺らぐ事がなかった。


  「…わからない。」


  間抜けな返事だと思いながらも、思ったままを口に出した。
  分からないのだ。
  なぜこいつの微笑った顔があんなにも心を揺さぶったのか。
  なぜ口付けてしまったのか。
  …なぜ今こんなにも、また口付けたいと思ってしまっているのか。


  「そうですか。」


  呆れるでも、怒るでもなく、申公豹は一度頷いた。
  先程まで唇をなぞっていた手は、今は押さえつけられていた手首をさすっている。
  ああ、強くしすぎたかもしれない。痕になっているのだろうか。
  そう思えばますます、申公豹が抵抗しなかった理由が分からなかった。
  もし少しでも抵抗されていれば、私は口付けてはいなかっただろう。


  月明かりが、部屋の中を柔らかく満たしていく。
  蒼く淡い光に照らされた申公豹の顔は、造り物の様に整っていた。
  沈黙の数十秒。
  伏し目がちだった瞳が完全に閉じられたかと思うと、ふっといつものように、申公豹は笑った。


  「聞仲、」
  「…。…なんだ?」



  「私はね、貴方のこと、」



  嫌いじゃありませんよ。
  

  と、そう言って悪戯っぽく笑う顔に、もうどうしようも無くなって、赤く熟れたままの唇にもう一度噛みついた。
  お互い目は閉じていなかった。
  探り合うように、焦点の合わない視線が交わる。
  次第に深くなっていく口付けの中で、私はまだ疑問を拭えずにいた。
  これは恋なのか、愛なのか、何なのか。


  今はまだ名前を持たない、ただそれだけの行為。





















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  2発目。
  恋なのかどうかも分からないままに突っ走ってしまう聞仲が私は好きです。
  申公豹が珍しく乗り気ですね(笑)


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