008 声が聞きたい
申公豹が自宅のリビングで特に面白いとも思わないテレビを見ていると、携帯が鳴った。
正確には着信音はoffにしているので、バイブ音だが。
着信の表示を見れば、見慣れた名前が映し出されていた。
一瞬取るのをためらったが、結局出ることにした。
「…はい。」
「あ。申公豹ーよかったぁ、時々出ないでしょう?君。」
「それは貴方がメールで済むような用件をわざわざ電話してきた挙句、長電話に持ち込むからです。」
「ちゃんと重要な用件のときもあるでしょー?」
「…。…あまり思い当たりませんが。」
そこまで喋って、申公豹は太上老君が心なしか小声な事に気付いた。
耳を澄ますと、聞いたことのある某店の宣伝用音楽。
「…ちょっと。貴方何処から電話してるんです?」
「え、勤務先。」
「っ仕事中にかけてくる人がいますか!ちゃんと働きなさい!」
「だって、最近忙しくて申公豹に会いに行けないんだもん。今日も夜勤だし…24時間営業のとこに就職するんじゃなかった。」
「夜勤の日は昼まで寝ていられるから良い、とか言っていたのは何処の誰ですか。」
「う…それはそうなんだけどー…。とにかく、会えないから声だけでも聞きたかったんだもん。」
「…切ります。」
「え、ちょ、ちょっと待っ…」
ピッ。
通話を切って携帯を置いた。
イライラする、と申公豹は思った。
太上老君が特に用もないのに電話してきたから、では無くて。
座っているソファの生地をぎゅっと握る。
それから机の上の携帯と財布を乱暴に掴んで、申公豹は家を出た。
ネオンの街を早足で歩く。
見慣れた看板を睨みつけて、自動ドアをくぐって、カウンターに目をやる。
なにやら面倒くさそうに、それでいて微妙に沈んだ様子で薬の整理をしている浅葱の髪を持つ背中に、申公豹は。
「胃薬ください。」
「あ、は……え?っし、申公…!?」
「胃薬。パ○シロンです。」
「は、はい。」
申公豹の突然の来店に驚いた太上老君だったが、ギンッと睨み調子で申公豹にそう言われると、慌てて棚から薬を取った。
レジを打ちながら、おずおずと太上老君が声をかける。
「…なんか…怒ってる…?」
「怒ってます。」
「ごめん」と動こうとした唇が声を発する前に、申公豹は続けて言った。
「私の職業は何ですか、老子。」
「え…が、学生でしょ?」
「そうです。特に忙しくも無いキャンパスライフを満喫中の大学生です。」
「そ、それがどうかしたの…?」
「私は貴方の数倍、時間に余裕があるんです。」
ガランと人の少ない店内のカウンターで、学生と薬剤師が目を合わす。
一人は睨み調子で。
もう一人は、怒る恋人にどうしようかと困った風に。
「…どうして、会いに来いと言わないんですか。」
「え…」
「私が!貴方に会いに来いと言われても来ない様な、薄情者に見えますか!?」
回りも気にせずに大声でそう言った申公豹に、太上老君は目を見開いた。
申公豹のイライラは、太上老君が申公豹の気持ちを誤解しているからだ。
「貴方が忙しくて会いに来れないなら、私が会いに行きます。
一言『来てほしい』と言ってくれればっ、この店は近いんですから私が来ますっ、貴方の家にだって行きますっ、
それをなんですか!?会えないから声だけでも聞こうと思って電話した?馬鹿じゃないですか!?
どうして…っ…言わないんですか…!」
言わない理由は、分かっていた。
申公豹を煩わせたくないという、太上老君なりの気遣いだということは。
けれど申公豹は、そこまで太上老君に遠慮してほしくなかった。
そりゃあ、毎日毎日呼び出されたら嫌になってしまうけれど、何日も仕事で会えなくて、老子が忙しいときは、呼び出してくれたって申公豹は一向に構わなかったのだ。
いじっぱりな申公豹は、よっぽどの事が無い限り自分から会いに行ったりしないけれど。
太上老君が「会いたい」と言えば、会いに行ける。
会えなくて寂しいと思うのは、片方だけではないのだから。
大声で一気に喋ったために肩で息をする申公豹を、ぽかんと口を開けて眺めていた太上老君が、カウンター越しに頭だけぎゅっと抱き寄せた。
「わっ…!」
急に引き寄せられた申公豹が声を上げる。
無茶な体勢に倒れそうになるのを耐えていると、上からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「何…笑ってるんですかっ…私は、怒ってるんです…っ」
「ぷっ…うん、知ってるけどね…ふふっ…」
「老っ…」
「だって…し、申公豹…かわいー…」
「なっ…」
止まない笑い声に、申公豹はなんだか悔しくなる。
そこへ、いくら人が少ないとはいえカウンターの前で抱き合っている二人に第三者の声が。
「おーい、そこの緑の髪のお兄さん。ちゃんと仕事しようねー。」
「ん?雲中…い…っ!!」
少し遠くからカウンターに向かって面白半分に声をかけたのは、太上老君の同期で同僚の雲中子だった。
その声に此処がどこだか思い出した申公豹が慌てて太上老君を押し返した。
ただ、その押し返した力が思いのほか強くて、太上老君は後ろの薬棚で後頭部を強打したわけだが。
「イタタ…」
「か、帰りますっ!」
耳まで顔を赤くした申公豹は、逃げるようにカウンターから離れていく。
その後姿に太上老君が声をかけた。
「申公豹。今度は、ちゃんと言うから。」
その言葉に、申公豹が足を止める。
肩越しに太上老君を見て、何か言おうとして口を開いたが、何も言わずに前を向きなおして赤い顔のまま申公豹は店から出て行った。
そんな様子の申公豹を見て楽しそうに笑っている太上老君を、隣に立つ雲中子がからかう。
「アツいねぇー、君ら。」
「おかげさまで。」
「手当てしてあげようか?」
「へ?」
「あーたーまー。」
「え、あ、うわ!たんこぶになってる!」
「うわーバカだなーっ」
「うっさい!」
人の少ないドラッグストアに二人の薬剤師の楽しげな笑い声が響く。
少し膨らんだ後頭部をさすりながら、太上老君は「次は申公豹を家に呼ぼう」と頭の隅で考えて、深夜の業務に勢を出すのだった。
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これ書いてて、頭で考えていることを文字に直すのは難しいなぁと改めて実感しました。
調子に乗って雲中子とか出してしまったんですが、これが書いてみるとなかなか楽しくて(笑)
喋り方が良く分からないのは困りますが、あんまり書かないキャラ書くのもおもしろいなぁ。
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