「ろ…」
老子。
そう発した声は相手の口内に吸い込まれた。
じゃり、と靴の音が鳴って、申公豹はコンクリートの上に尻もちをつく羽目になった。
生温い外気とは違った、石のひやりとした感触がする。
「ん、…っ…」
深くふかく、舌が入り込んできて苦しい。
キスの合間に十分な呼吸をすることができなくて、群青の目には薄く水の膜が張り始めていた。
力の入らない手で、相手の胸を精一杯押す。
やっと唇が離れた。
銀色の糸を引いた先には、それはもう綺麗に弧を描いた唇。
申公豹は太上老君のこの笑い方がどうも好きにはなれなかった。
理由は簡単。
彼がこういう笑い方をしたときは、ろくなことが起こらないからだ。
光に酔う
事の始まりは一本の電話だった。
夕飯後にゆっくり寛いでいた申公豹の携帯が鳴り、液晶にはもうすっかり見慣れた名前が表示されていた。
もう仕事は終わったのか、と思いながら通話ボタンを押す。
「はい、」
「あ、申公豹?今、時間大丈夫?」
通話口から聞こえる声は、随分と嬉しそうだった。
どうかしたのか、と申公豹が尋ねると、暇だったら来て、と太上老君が短く告げて通話が切れた。
あまりにも唐突な誘いに、スルーしてやろうかと申公豹は思ったが、あんなに嬉しそうな声を聞かされては、何があるのか気になるというものだ。
真っ暗になった携帯の画面を睨みつけて、ふぅと一息吐いた申公豹は、傍らの愛猫を一撫でして、家を出る支度を始めた。
***
太上老君の家にお邪魔して、さぁ要件はなんですかと申公豹が問う前に目の前に現れたのは、花火だった。
コンビニで売ってたから、買ってきちゃった。なんて、太上老君はそれを嬉しそうに掲げて見せる。
「…で?」
「一緒にやろうよ。」
やはり、そうきたか…、と花火を見せられた時点で薄々気付いていたことが的中して、申公豹は複雑な気分になった。
「あなたねぇ、青春真っ盛りの若者じゃないんですから。」
「君はまだ若いじゃない。それに、大人は花火しちゃいけないの?」
「いえ、そういう訳ではないですけど、何が悲しくて成人男性二人で花火を…」
「うん、じゃあやろう」
話を聞け…!
嬉々した表情の太上老君がまだ何か言いたそうな申公豹の手を握って、引く。
「…申公豹はさぁ、もっと、夏休み遊んだほうがいいよ?バイトばっかりしてるじゃない。」
背を少し屈めて太上老君は申公豹の顔を覗き込んだ。
毎日毎日、君はバイトで。
たまの休みは、私の仕事とかぶってて。
全然遊べてなかったから、今日くらいは、楽しんでよ。
…言葉にはされなかったけれど、そう言われたような気がした。
あ、水忘れた。と呟いた太上老君がキッチンに戻る。
その間一人残された申公豹は、取りあえずベランダに出た。
真夏は通り過ぎてしまったが、外気は生温く、まだ秋は遠いように思える。
花火の時期には少し遅いかもしれないが、彼が用意してくれたのだから今日の残りの夜ぐらい、めいっぱい遊んでやろうと申公豹は思った。
やり始めれば意外とテンションは上がるものらしく。
数分後には言いだした太上老君よりも、ためらっていた申公豹の方が楽しそうに花火をかざしていた。
ときどき笑い声がもれて、太上老君もつられて微笑んだ。
他の誰が笑ったって何も思わないのに、目の前のこの子が笑うと、どうしてこんなに嬉しいのだろうかと、太上老君は不思議に思っていた。
淡い色の火花が申公豹の白い顔を照らしては消えていく。
花火もそこそこに白い横顔を眺めていると、ふいに申公豹がこちらを向いた。
「結構、楽しいです。」
いつもより少し小さな声でそう呟いて、申公豹がはにかんだ。
欲しいな、と太上老君は唐突に思った。
花火を持ったままの申公豹の華奢な手首を掴む。
申公豹が瞳を見開いた時には唇はもう重なっていて、弛緩した指先から終わった花火がするりと抜け落ちた。
そして冒頭の状況に至る。
表情が見えたのは一瞬のことで、気付けば太上老君は申公豹の首筋に噛みついていた。
手首をつかんでいた手は、今は白い指に絡んでいた。
自分より一回り大きな掌のひやりとした温度と、首筋を這う舌の熱さの差に、申公豹の思考が溶ける。
ゆっくりと体が傾いで背中にまで石の冷たさが広がった。
浅葱色の髪が揺れて、自分の上に無遠慮に跨った太上老君がこちらを見た。
珍しい金色の目に見つめられて、一瞬、申公豹はこのまま流されてしまってもいいかも知れないと思った。
が、少し視線をそらした先に広がっているのは星空である。
ここが何処だか思い出した申公豹は、再度目の前の体を退かそうと暴れた。
「や、めてくださいっ、ここがどこだと…!?」
近所迷惑にならないようにそれなりに声量を落として申公豹は叫んだ。
彼の必死さと相反して、太上老君はきょとんとしている。
「私の部屋のベランダ?」
「そうですけどそうじゃなくて…!!」
外でするなんてありえないです!
と、申公豹が言うと、どうして?と太上老君が返してきた。
そうしている間にも、シャツの裾から無遠慮に手が這ってくる。
「と、隣に…声が聞こえ…た、ら……」
わき腹を撫でられて、申公豹の体がびく、と震える。
もっと言いたいことがあるのに、これ以上言葉を紡げば変な声がもれてしまいそうだ。
シャツが胸元までまくりあげられて、色付いた先端にぬるりと舌が這う。
「っ、ん…」
身体を好き勝手にされるのは何時までたっても慣れやしない。そして慣れたくもない。
ありったけの不満を詰め込んだ視線を太上老君に投げるけれど、相手は笑ったままでしかもとんでもないことを言ってきた。
「申公豹が、がんばって声出さなかったら大丈夫だよ。」
取りあえず殴らせろ、と申公豹は思った(そして実行しようとした)。
しかし、こんな時だけ器用な太上老君の指先は、もう下着の中に侵入し始めていて、確実に申公豹の力を奪っていた。
手から逃れようと腰を引くけれど、上から押さえつけられていてはどうしようもない。
細いとはいっても、太上老君の方が申公豹よりも体格がいいのだから。
「っ、…っ…」
「なんか反応いいね。…いつもいいけれど。」
「ぅるさ…い…っ」
否定しないところが、かわいいよね。
なんて思って、太上老君は笑いをかみ殺す。
怒る声も今は小声で震えている。
自分が煽った通りに、必死で声を抑えている申公豹を見ると、かわいくて仕方がない。
そして同時に、いじめたくて仕方がない。
下着ごとズボンを引きずりおろして、本格的に彼の性器に指を這わせる。
羞恥に染まった顔が太上老君を睨んだけれど、群青色の目は潤んでいて迫力には欠けた。
「ん、…んんっ…!」
身体が跳ねあがるほどの刺激を与えても、申公豹は必死に声をかみ殺す。
普段ならここらで太上老君が折れて室内にでも申公豹を運ぶ所なのだが、夏というものは人の冒険心を駆り立てるものらしい。
唾液にぬれた指が後ろに侵入してきて、さすがに申公豹も目を見開いた。
「待っ…!?」
「…申公豹、がんばってるから。…努力に応えたくなっちゃった。」
「や、…っ…ん、んーっ…!」
内壁の抵抗を受けながら指が根元まで入っていく。
痛いのやら苦しいのやらで上がりそうになる声を申公豹は自分の腕を噛んで耐える。
こうなったら絶対声なんか上げてやらないと心に誓っているが、身体は言う事を聞いてくれない。
「っ…ふ、…ぁ…ァ、…」
指が中で動き回るたびに、身体の力が抜けていく。
声を殺すために腕を噛む力も徐々に入らなくなって、開いた唇から細く甘い声がもれた。
やっと上がった嬌声に気を良くしたのか、太上老君の口角がくっと上がる。
それを見た申公豹は恨めしそうに相手を睨んだが、その途端にナカの敏感な所を探り当てられて目元は甘く歪んだ。
「や…ぁ……!」
細い体が跳ねる。空を裂いた手は太上老君の肩口にたどり着き、爪を食い込ませた。
震えて、地面から浮いた申公豹の腰は、快楽から逃れようとしているようにも追おうとしているようにも見えた。
「あっ…ひぁ、あ…」
ぐちゅ、と水音を立てながら2本3本と増えた指は出たり入ったりを繰り返している。
強い快楽に、申公豹はここがベランダだということを忘れそうになる。
それをまた思い出させるように、太上老君が耳元で囁く。
「ほら、そんなに声出していいの…?聞こえちゃうよ」
「っ…!……ぁ…だ、って…、んんっ…ろ、ろぉしが……」
「私が、なぁに…?」
「ろぉしが…そんな…っぁ、とこ…触る、から…っ…声…抑えられな…」
またなんでそう人を煽るようなことを言うかなぁ…と老子は頭が痛くなりそうだった。
そんなこと言われたらちょっとは残っていた理性も吹っ飛ぶというものだ。
「ぁ…んぅっ…、…?」
ずる、と入っていた指を引き抜くと、突然止んだ快楽に申公豹が不安そうに太上老君を見てきた。
それをかわいいなぁと思いながら、コンクリートに寝っ転がったままの申公豹の体を起こし、部屋に通じる窓まで連れて行った。
やっと部屋に入る気になったかと、もうほとんど蕩けかけている思考の中で申公豹は喜んだ。
しかし、耳に届いたの言葉がその喜びをぶち壊した。
「そこ、窓に手をついて」
「…なっ…!?」
「ん?対面の方がいい…?」
「そうじゃな…な、なんで立っ…ちょっと待…っ」
ガタンと窓が鳴る。
無理やり後ろを向かされた申公豹は、窓に手をつかざるをえなかった。
一度もイかされずに焦らされた体は脚に十分力が入らず、嫌でも腰をつきだすような形になってしまい、申公豹は羞恥に顔を赤く染めた。
窓ガラスにうっすらと映る自分の姿を見るのが嫌で、ぎゅっと目を瞑っていると、後ろから申公豹の耳元に口を寄せた太上老君が囁いた。
「だって、ベッドまで行くのももどかしい。」
かっと身体が熱くなってしまうような、切羽詰まったぞくぞくする声。
「ろ、――――っやぁア…!」
顔が見たくて申公豹が後ろを振り仰ぐと、どこか恍惚とした太上老君の顔が見えた。
最後まで名前を呼びたかったが、慣らされた後孔の最奥まで、一気に熱が入り込んできて、それは叶わなった。
強い衝撃に一気に倒れこみそうになった身体を、太上老君が腰を掴んで支えた。
「や、だめ…です…っ、こ、んな…ァ」
こんな体勢は無理だ、と申公豹は頭をふる。
そんな申公豹を見て、大丈夫、と気休めにもならない台詞を太上老君が囁く。
後ろから突き上げられるたびに体重を支えている窓が小さく音を立てた。
「あっ…ぁ、あっ…」
快楽に耐えきれなくて、窓の上を手が何度も滑る。摩擦でキュウゥと窓が鳴く度に、申公豹も甘い声で鳴いた。
触れられてもいないのに、先走りの液が性器を伝っていくのが分かる。きっとベランダのコンクリートも濡らしてしまっているのだろう。
何度も何度も、申公豹の体の中を太上老君が貫いていく。
お互いに限界はすぐそこまで来ていた。
「ろ、ぅし…っ」
「ん…っなぁに…?」
「も…だめ、です…っ…我慢できな…っ」
「我慢、なんて…しなくてっ、いいよ…っ」
「ん、んっ…あ、――ァあッ…!」
ぐ、と最奥まで突き入れられて、高い声と共に申公豹はついに白濁を吐き出した。
それを確認した太上老君は、どこか満足げに微笑んで自身を引き抜き、申公豹の体の外へ精を放った。
ぐらりと倒れ込む身体を太上老君が支える。
荒い呼吸の中で向かい合って、先程の事が嘘のように穏やかなキスを交わした。
シャワーを浴びた後。
分かりきっていたことだが、申公豹の機嫌は最悪だった。
枕を抱えたまま、ベッドの端で太上老君に背を向けたまま座っている。
背中だけでも、怒っているのが良く分かるくらいだった。
いや、正確には怒っているのと恥ずかしいのが半分半分くらいかもしれない。
なにせ、途中まで折角抑えていたのに、後半には外だという事も忘れて喘いでしまったのだから。
「申公豹ー、こっちむい―――ぶっ」
極力逆鱗に触れないように、太上老君が声を掛けるが、返ってきたのは渾身の力で投げられた枕だった。
太上老君の顔に直撃したそれは、ぼたりと間抜けな音と立ててベッドに落ちる。
「も、最悪です…!御近所の方に聞こえていたら、そんなの、そんなの…」
怒るというよりか、失態に泣き出しそうになっている申公豹を見て、太上老君は慌ててその身体を抱きしめた。
もう怒る気力も無くなったのか、さっきまでの怒りのオーラはすっかり消えて、項垂れた申公豹が大人しく腕に納まっている。
「そ、それなら大丈夫だよ。左は夜のお仕事してる人だから絶対いないし、右はこの前引っ越したばかりだから空き部屋なんだ。」
「…。……。」
「申公豹…?」
「………なんですって…?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
かっと申公豹の顔が赤くなって、太上老君の肩を思いっきり揺さぶりながら叫んだ。
「〜〜っあなた、知ってて私のこと騙したんですね!?信じられませんっ!!!」
「いた、いたい、痛い」
「知りません!!自業自得です!!」
ぼすんっ、とまた枕が顔に直撃する。
どうやら申公豹の怒りは収まりきらないらしく、枕の端を掴んで、ばこばこと思いきり太上老君に叩きつける。
しばらく申公豹の好きなようにさせていた太上老君だったが、このままでは収拾がつかないと、顔面に迫る枕を掴んだ。
そのまま勢いよく引っ張ると、枕はベッドから落ち、反動で申公豹が太上老君の胸に飛び込んだ。
ギンッと吊りあがって涙目になっている申公豹の頬を、両手で優しく包む。
「…ごめん、機嫌なおして?」
「いやです!」
「お願い。」
「っ…」
眉尻を下げて、金色の目にじっと見つめられながら謝られ、申公豹もこれ以上責める事が出来なくなってしまった。
ここで許したらまた同じことが繰り返されると分かっているのに、強く切り込めない。
「もう、しないですか」と問うと、ぱっと顔を輝かせて肯定の返事が返ってきた。
あまりの潔さに、観念したように申公豹が溜息をつく。
けれどそのまま許してしまうのは腹が立つので、一つ提案を出すことにした。
「では、私のお願いも聞いてください。」
「うん。なぁに?」
微笑って言う太上老君の肩を押して、ベッドに押し倒すと、そのまま身体の上に乗っかって、寝転んだ。
太上老君の吃驚した顔が見えて、申公豹は気分が良くなった。
「今日は私の枕になってくださいね。」
「え、えぇえ?」
「もちろん変な事したらダメですよ。」
「そんなぁ…こんなに密着してるのに!」
「言い訳しない。もし変な事したら、1ヶ月くらいセックス禁止しますからね。」
そんな殺生な!とうろたえる太上老君に、申公豹はやっとスッキリした気持ちになって、そのまますやすやと寝入ってしまった。
あとに残された太上老君は、こんなにかわいい子が目の前にいてしかも引っ付いてるのにどうしろと…と頭を抱えたが、
持ち前の寝付きの良さでなんとか乗り切ったとか、なんとか。
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えー、約1年ほったらかしていたやつがようやく出来ました。
花火を書きたかっただけなのにどうしてこうなった/(^o^)\
最後の申公豹が老子の上に乗っかってるのは、
SATC2でキャリーが旦那の上に乗っかってテレビ見てるのがすごく可愛かったのでつい…(笑)