頭が重い。
        なんだかふらふらするし、世界がゆがんで見える。
        こういう症状をなんと言ったか。



         息抜き



        「申公豹…?ほんとに何とも無いの?」


        心配そうな声色で黒点虎が主人に声をかけた。
        当の主人はいつもと変わらぬ表情で「ええ。」と答えたのだが、その笑顔がどこか頼りなく見える。
        主人はもう一度はっきりと言う。


        「大丈夫ですよ、黒点虎。今日は一人で散歩に出かけるのでしょう?」
        「そうだけど…。」
        「なら早くいってらっしゃい。日が暮れてしまいますよ。」


        柔く笑んでそう促す主人に、やはり自分の思い過ごしかと思った霊獣は、元気に返事をして大きな窓から駆けて行った。








       「けほっ…。」


       霊獣が飛び立ってがらんとした部屋に主人の堰が一つ。
       ベッドにぼすっと倒れこんで、ゆがむ視野にうぅ、と低くうめく。


       「風邪…ですよね…。」


       主人…申公豹は嘘をついた。
       大丈夫、なんて嘘。体が火照る。世界が回る。息が上がる。喉が痛む。
       でもあの優しい霊獣には言わない。
       きっと、いや必ず、ひどく心配するだろうから。


       申公豹は己の手の甲を額に当てた。
       熱はあるのか、ないのか。よく分からない。いつもより高い気はする。
       禁城にある自分の部屋の、高い天井を見上げる。
       寝ようと思ったが酷く喉が渇いていることに気付いた。
       これではゆっくり休めそうにないと思って、申公豹はだるい体を起こして水を飲みにいこうと部屋を出た。








       所変わって、殷の聞太師は今日も大忙しで、書類を抱えて禁城の廊下を足早に歩いていた。



       カツカツカツ。



       ふと、向こうからふらふらと歩いてくる人影。
       奇抜な格好。


       (道化…?)


       見た目は聞仲の記憶にある申公豹なのだが、そのいつもとは違う様子のせいで疑問符が付く。
       前方の申公豹の顔はうつむいているし、足元はおぼつかない。


       「おい、申公…――――!?」


       瞬間、ぐらりと傾く体に、聞仲は慌てて支えに走った。
       その甲斐あって申公豹が床にぶつかることは防げたが、変わりに床に散乱した大量の書類に聞仲は小さく舌打ちをした。
       ぐったりともたれ掛かる小さな体に、聞仲は問いかける。


       「おいっ、どうした。」


       返事は無い。
       どうやら相当体力を消耗しているらしい。
       分かったことは一つ。体温が異常に高い。


       「はぁ……はぁ……」


       苦しげな吐息。眉は寄せられて、顔が赤い。


       「ひどい熱だな…。」


       聞仲は呟いて、周りを見渡す。
       いつも傍にいる霊獣が見当たらない。
       誰かに任せようかと思案するが、頼めそうなやつがいない。
       頼みの張奎も、今日は用事で出かけている。


       「ちっ…。」


       聞仲は今度こそ本格的に舌打ちをした。
       めんどくさい。
       とんでもなく面倒くさい。
       しかしここにほったらかしにしておくわけにもいくまい。


       「仕方ない…。」


       この忙しい時に、と愚痴ってから、聞仲は申公豹を抱き上げた。


       (軽…。)


       抱き上げて、最強の宝貝を操るあの道士が、こんなにも頼りない体だとは思わず、あまりの軽さに聞仲が驚いた。
       身長のことを考えても、やはり軽い。
       ますますこのままにしておく訳にいかなくなって、散乱した書類もそのままに再び聞仲は廊下を歩き出した。



       カツカツカツ。



       また聞仲の向こう側から歩いてくる人影。
       抜群のプロポーションを生かして、優雅に歩く殷の皇后。


       (狐か…。)


       「…あらん?なぁに聞仲ちゃん、ラブラブねぇ。」
       「は?どこがだ。」


       何を言っているんだこの狐は、と見下げた目線を聞仲は妲己に送った。
       妲己は特に気にもせずに言葉を返す。


       「どこがって、だってお姫様抱っこだしぃ…?」


       クスクスと笑いながらそう言われて、聞仲ははっと我に返る。


       (お、お姫様抱っこだと…?)


       聞仲は慌てて自分の格好を見直す。
       両の腕に等しくかかる申公豹の体重。まさしく、妲己の言う「お姫様抱っこ」


       「ち、違う!これはだな、この方が運び易いだけであってっ…!」
       「はーいはい、お幸せにねんv」
       「っ聞けぇ!!」


       スタスタと通り過ぎていく妲己に、聞仲は禁鞭を振るいたくなったが、申公豹を抱えている状態ではそうもいかなかった。


       「っ…ぅ…」


       頭が若干揺らいだのか、腕の中の申公豹が小さく呻いた。
       しまった、こんなことをしている場合ではない。
       よく見れば顔色はますます悪くなってしまっている。
       早く寝かせないとダメだ。


       聞仲はさっきよりも足早に、自分の部屋を目指した。

















       「……これで、いいか。」


       ふぅ、と一息ついてベッドの脇の椅子に聞仲は腰掛ける。
       申公豹の額には濡れタオル。
       薬は起きてから飲ませるとして、聞仲はやれるだけのことをした。


       まだ少し苦しそうな呼吸で眠る申公豹に目を向ける。
       大きな瞳が閉じられた寝顔はいつもよりなんだか幼くて、かわいい。



       (…。…かわいい?)



       (いやいやいや。何を言っているんだ。相手は男だぞ。しかも申公豹。
       かわいいなんてあるはずが…。)


       あるはずがない、はずなのだが。


       「っ…。」


       聞仲はとっさに申公豹から視線を外す。
       その先を考えたくなくて、一旦思考を中断して別のことに考えを移した。
       そうだ、こいつには迷惑しているんだ、と。


       (今日はたくさん仕事があったというのに。…そういえば書類もぶちまけたままだ。
        妲己には変な誤解をされるし。
        ベッドは占領されるし。
        それから、それから――。)


       言い出せばキリが無いように思われた。


       聞仲が申公豹に視線を戻すと、タオルが額からずり落ちてしまっていた。
       それを甲斐甲斐しく直しながら、聞仲はふと思う。


       ああ、これは息抜きだと思えばいい。


       忙殺されそうな自分に与えられた、小さな息抜き。


       (申公豹が目を覚ましたら、いっぱい文句を言ってやる。)


       そう考えると急に楽しくなって、聞仲は口の端をあげて笑うのだった。














     ―――――――――――――――――――――――――――――
     まぁ申公豹だったら自分で薬作って直すとおもうんですけどね(笑)  

     07/3/21

       Back