揺れる白金の髪に目を留める。見慣れたあのたおやかな銀糸は、未だに僕が触れることを許してはくれない。
プラチナ
「そろそろ触っちゃダメですか?」
「…嫌です。」
申公豹は、あの見た目の奇抜さとは裏腹に意外と中身は普通だったりする。
少々プライドが高い面もあるが、それはまぁ目を瞑ろう。
しかし、しかしだ。
いちよう付き合って数ヶ月になる恋人にこれっぽっちもスキンシップを許してくれないとはどういう事なんだろう。
「なんでですか。別に何もやましい事なんかしませ…」
「当たり前です!」
「そんなに怒らなくても良いじゃないですかっ」
さすがにここまで徹底されると、いくら温厚な僕でもいい加減腹が立ってくるというものだ。
「なんですか、僕が年下だと思ってなめてるんですか?」
「誰もそんなこと言ってません。」
「じゃぁどうしてですか!」
「どうしてもです。」
あんまりな言い方に、ついに僕はぶちギレた。
「…あぁそうですが、わかりました。」
「楊ゼン…?」
「もういいですよ。もう帰ります。さよなら。」
「ちょ…待ちなさいっ」
申公豹が待てと言うのは、決して僕が名残惜しいからでは無くって。
人を呼び出しておいて何の用事も無いのか時間を割いて来たのに、という意味だ。
僕はそんな引止めはいらない。
そんなこと聞きたくもない。
「――楊ゼン!」
パシン。
乾いた音を立てて、僕は申公豹の伸ばされた掌を叩き落した。
一瞬傷ついたような表情が見えたような気がするのは、きっと気のせい。…気のせいだ。
「さようなら。」
僕は自分でも驚くくらい冷たい声でそう言い放ち、哮天犬に跨ってその場を去った。
僕はその翌日、自宅で一連の自分の行為を振り返っておおいに後悔した。
「あぁー!もう…っ」
思えば、あの手を振り払った時が、初めて彼に触れた瞬間だったのだ。なんて最悪な奴。
最初から覚悟していたはずなのだ。彼はゆうに五千年の時を生きているのだし、自分とは価値観も違う。
彼から見れば僕なんてまだまだ子供で、元々本気にされるわけがないのだ。
それを触れさせてくれないから呼び出しておいて怒って帰るなど…子どもっぽすぎる。
呆れてものも言えない。
「あんなことするんじゃなかった…。」
どうしても、あの手を振り払ってしまった時の、申公豹の顔が忘れられない。
まさか僕があんな事をすると思わなかったんだろう、驚いて見開かれた目と少し悲しそうに歪んだ眉。
なんて僕は馬鹿なんだろう。
天才なんて、嘘っぱちだ。
コンコン…。
ふと、来客を告げる音がした。
誰だろう…こんな時に。あんまり人に会いたくないのだけれど。
「はい…。」
扉を開けて、驚いた。
だってそこに立っていたのは、申公豹その人に違いなかったからである。
開けたは良いものの、気まずい雰囲気に沈黙が降りる。
とにかく何か喋りかけなければ、そして謝らないと。
そう意を決して僕は口を開いた。
「申…」
「ごめんなさいっ…!」
「ぇ?」
僕の声を申公豹が遮った。
どうして彼が謝るんだろう…悪いのは僕のほうなのに。
僕がもう少し大人だったら、彼と話をするだけで満足だと思えたなら、こんなことにはならないのだから。
「私…貴方を試してました…。」
「試す…?」
試す?一体何を…?
「だから…貴方が…本当に私のことを好きなのかどうか、試してたんです。」
「ぇ?」
「だ、だって…貴方は容姿も端麗で実力も申し分ないですから、女性にもさぞやモテるでしょうし…
わざわざ私を選ぶ理由がないじゃないですかっ…!」
「え、えぇ…?」
「年齢だって大分差がありますし、どうせからかってるんだろうと思って…っ」
なんだ…?つまり申公豹は…僕のこと興味が無くて避けてたわけじゃない…?
「冷たくして、冷たくして…それでも離れなかったら、本気なんだって分かると思って…。
っ…でも貴方を傷付けてしまったみたいで…っ…。
貴方が…嫌いとか、そういうんじゃないんです…っ、だから…っ!」
僕は目を疑った。
あの申公豹が…あの最強の名を欲しいがままにする道士が、…泣いているのだから。
「だから…っさよならなんて…言わないでくださ…っ…」
あとはもう涙が落ちるばかり。
あまりの事に僕は脳みそが働かない。
ただ、今僕がこの方にしなければならないのはこれだと思って。
頭一つと少し、僕より身長の低い彼を、ぎゅっと庇護するように僕は抱き締めた。
びくりと細い肩が少し跳ねて、彼が戸惑っているのがよく分かった。
だから僕は安心させようと思って、もう少し強く抱き締めた。
いつも隣に並んでいるだけだった申公豹の体は想像よりもずっと細くて頼りない。
なんていとおしい。
「あの…泣かないでください…申公豹…。その、さよならって言っちゃったのはついカッとなってしまって…。
でも、僕が貴方を好きなのは本当のことだし、絶対…からかってなんかないです。」
「でも…っ」
「嘘じゃないですよ。…嘘なわけないじゃないですか。だってそうなら、あんなに触りたいなんて言わないです。」
申公豹の、うわずった泣き声が止まって、小さく上を向いたのが分かった。
僕は抱き締めた腕の力を少し緩めてその表情を伺ってみた。
「本当に…?本当に嘘じゃないんですね…?」
涙に濡れた群青の瞳はいつもよりずっと不安そうに揺らいで、目尻は真っ赤になってしまっていた。
こんなときに何考えてんだと思われてしまいそうだが……かわいい。
「はい。嘘じゃありません。申公豹、僕は貴方が好きです。」
「…そ、そんなにはっきり…言わなくても…。」
「いいじゃないですか。…僕は、貴方にまだまだ子どもだと思われて触れさせてもらえないんだと思っていましたよ。
だから、今の貴方の話を聞いてとても嬉しかった。
昨日あんなにひどい言い方をしてしまって、もう会えないかと思ってました。」
「そんなこと…っっ」
言いかけて、申公豹が言い淀んだ。少し僕の服に埋まったその顔は林檎の様に赤かった。
そんなことない。
そう言ってくれるのか。触れても良いんだと。まだ会えると。
「申公豹、一つわがまま良いですか。」
「え…?」
「キスしてもいいですか?」
僕を見上げる申公豹の目が大きく開かれた。もともと大きな目が、こぼれ落ちそうな位。
彼の返事が返るまではほんの十数秒だったのだが、僕にはまるで何時間にも思えるくらい長かった。
僕は薄紅のくちびるにキスをする。
恥じらいがちに、いいですよと言ったそのくちびるは思ったよりずっと柔らかくて、温かい。
ただの、舌を絡ませもしない幼いくちづけなのに、こんなに心臓の音が早いのはなぜだろう。
ゆるく結われた白金の髪に触れた。今まで一度も触れられなかったプラチナ。
どうしよう。本当はずっと我慢してて、本当はずっと貴方を手に入れたくて。
…でも今日は、この髪に触れられた幸せに浸るだけにしよう。
生きることに囚われた僕らには、時間だけは永久にあるのだから。
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いまどき少女マンガでもないような展開ですいません…
甘い、甘い…けど甘いの好きなんです。
07/2/11
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