月夜    


   「…?」


  湯上りの申公豹はいつもの寝台に目をやるが、そこに見慣れた師の姿は見当たらない。
  きょろきょろと周りを見渡していると、その背中に大きく声がかかった。


  「申公豹、こっちこっち。」


  声がした方を振り向くと、中庭を臨む縁側に優雅に腰を下ろした太上老君がいた。


  「…何してるんですか、そんなとこで。」
  「いいからおいでよ。」
  「…。」


  にこにこ笑いながら手招きをする太上老君の所に寄る。
  その白い手には杯。縁側にはもう一つの杯と、徳利が2つ。


  「ほぉ、月見酒ですか?」
  「そう。綺麗でしょ、あれ。」


  あれ、のところで空を指差して太上老君が言う。
  そこにはぽっかりと、まるい月が浮かんでいた。


  「貴方にまだ、綺麗な物を判別する目があって良かったですよ。寝過ぎで目が溶けちゃっているかと思いました。」


  最近まで寝るに寝こけていた太上老君を思いっきり皮肉って申公豹が答える。
  ストンと太上老君の隣に腰掛けて、申公豹はその口の端をゆっくりと上げて笑った。


  「やだなぁ…私だって綺麗なものぐらい分かるよ。」


  金の目を細めた太上老君の手が、申公豹の白金の髪にゆるりと触れたかと思うと、突然後頭部を捕らえて引いた。
  それに驚いて、唇が触れる寸前で申公豹がぐっと太上老君の身体を押し返した。
  すると珍しく、太上老君は大人しく身を離した。


  「…酔ってるんですか?」
  「まさか。」
  「じゃあ、からかってるんですか?」
  「さぁ…どうだろ?」


  クスクスと笑ってはぐらかす師に口で対抗するのは賢明ではない。
  はぁ、とひとつため息をついて申公豹は空を仰ぐ。
  上空には先程と同じように、黄金の月が浮かんでいた。


  「ねぇ、飲もうよ。君の分もあるんだ。」


  月に目をやっていた申公豹に、空の杯が手渡された。
  その杯を見て、申公豹は少し、本当にごく少し眉をひそめた。


  「あれ、嫌いだっけ?」
  「嫌い…というわけでは…ないですけど…。」


  妙にしどろもどろな申公豹に、太上老君がピンと勘づく。


  「…あ、…弱いの?」


  ぎく、とあからさまに表情を強ばらせた申公豹を見て、太上老君の顔がみるみる楽しそうに変わった。


  「へぇえ、そうなんだぁ、知らなかったなぁ?」
  「っっ…、めます」
  「へ?」
  「――飲めますっ!」


  太上老君の言い方がよっぽど申公豹のプライドを傷つけたらしい。
  ギンッと師を睨んで、置いてあった徳利を取ると、そのまま自分で酒をついで、ぐっと煽ってしまった。


  「わぁっ!申公豹、無理しちゃダメだってば…」
  「無理してませんっ」
  「そっちは私ので結構キツイやつなんだって、君のはこっち…」
  「貴方と同じので構いません!」


  こうなったら意地でも引かないのが愛弟子の性格だということは師も承知であったが、
  とんでもないペースでどんどん杯を重ねていく申公豹の体調が、さすがに心配になってきた。
  太上老君がまだほとんど飲んでいなかったので徳利に8割ほど残っていた酒が、もうほとんど空になっている。


  「申公豹っ…そんなに一気に飲んだらだめだよ…!」
  「…。」
  「…申公豹…?」


  返事がない。
  少しうつむいてぴくりともしない申公豹をこちらに振り向かせる。
  と。



  (うわぁ…どうしよう……)



  太上老君は固まった。
  固まらざるを得なかった。
  端的に言うと申公豹は酔っている。
  酔っている、その表情が問題なのだ。


  (すんごい色っぽいんだけど…アリなの?これ…)


  完全に酔いが回って、群青の瞳はとろんとおちてしまっていた。
  目元がほんのりと朱に染まり、淡い色の唇は誘うように薄く開いたまま。


  「ろぉし…ぃ…」


  はぁ、と悩まし気に一つ息を吐いた後に師の名前を呼ぶ。
  その後、浴衣を大雑把に着た太上老君の胸に、申公豹がくたくたとしなだれかかってきた。


  (…。…申公豹って、酔うと甘えるタイプなのかなぁ…)


  太上老君の浴衣の腹の辺りの布をぎゅうと握り締めて胸に収まっている申公豹を見ながら、師が一人思う。
  ちゃっかり背に回した手で、背中をゆっくりと撫でた。
  それに反応したのか、浴衣に埋まっていた申公豹の顔があげられる。
  潤んだ群青の瞳にじぃと見つめられて、がらがらと崩れてしまいそうな理性を、太上老君は必死に保った。
  無防備に開けられた口元が数度動いて、申公豹が話しかける。


  「おさけ…まだのめます…」
  「…もうダメだよ、酔ってるじゃない。」
  「よってません…」


  もう呂律が回らなくなってきている。
  これで酔っていないといわれても全く説得力がない。
  それでも酔っていないと言い張る申公豹は、太上老君に酒をねだってくる。


  「まだあるでしょう…?」
  「もうないよ、…申公豹が全部飲んじゃったじゃない。」


  さすがにこれ以上はいくらなんでもマズいと思ったのか、太上老君は「もう酒はない」ということにした。
  …実際は、まだ申公豹用に出しておいた弱い酒があるわけだが。


  もうない、と言われて申公豹は少々がっかりしたようだった。
  これで酒を諦めてくれれば事態は万時解決するのだが、事はそう上手くいかないようである。


  「でもここからいいにおいがします、おさけの…」


  うろん、と申公豹の右手が伸びてきて、太上老君の唇の端にその指が添えられる。
  ふっと微笑んで細められた群青の瞳と目が合ったとき、太上老君は本能的に感じた。



  ああ、これはダメだ。呑まれてしまう…と。






  「――!」


  ぐっと申公豹の顔が寄って来たかと思うと、その唇が太上老君の唇と重なった。
  ぬるりと侵入してきた舌を丁寧に絡めながらの、深く長いキス。
  申公豹の鼻にかかったような甘ったるい吐息を聞きながら目を閉じて気を抜いていると、突然太上老君の身体が後方に傾く。
  後頭部と背中に少し痛みが走った。


  「イタタ……今日は随分、積極的だね、申公豹。」


  四つん這いで上に乗っかっている申公豹に、太上老君が目を向けて言う。
  少し向こうに視線を流すと、申公豹の浴衣の割れた裾から、真白い脚が覗いている。
  こんな状況で、手を出さない男がいるだろうか。


  「誘ってるの…?」


  垂れ下がってくる白金の細い髪を指先に絡ませながら太上老君が問いかける。
  思考がハッキリしてない申公豹は、自分のやっている事がどれだけ太上老君を煽っているか分かっていない。
  分かっていないどころか、なけなしの理性をふっ飛ばしかねないことを言うのだ。


  「…ほしいんです、いますぐに。」


  もちろんお酒が、であるが申公豹には万年発情期の太上老君がそう解釈するはずもなかった。
  左手で申公豹の右腕を捕らえた太上老君は、そのまま身体を反転させる。
  上下が綺麗に入れ替わって、申公豹の身体がぱたりと床に押し倒された。


  「そんなに欲しいなら、いくらだってあげる。」
  「?…んっ…」


  耳元で注ぎ込まれる甘美な声に、申公豹は身を震わした。
  太上老君の唇が耳から顎のラインを伝って、首筋にたどり着く。
  幾分紅に染まった肌に印を刻もうとしたが、ふと違和感を感じた。
  そうであってほしくないとは思いつつ、太上老君は申公豹の顔をおそるおそる見た。






  「…。うぅ…なんか…お約束すぎて笑えないよ…申公豹…。」



  がっくりと太上老君が肩を落とす。
  伺った申公豹の顔は、愛くるしいくらいの…寝顔だった。


  「もー…」


  これからのめくるめく夜(?)に期待を膨らませていた太上老君は、仕方なしにもう一度身体を反転させて寝転がった。
  隣にはすやすやと寝息を立てて気持ちよさそうに眠る申公豹がいる。


  「ま…いっか。かわいいから。」


  くすりと笑って、太上老君は申公豹の頭をゆるゆると撫でる。
  その後、また縁側に腰掛けた太上老君は申公豹が飲まなかった分の酒を飲みつつ、浮かぶ月に再び微笑みかけたのだった。





  翌日、酷い二日酔いに苦しむ申公豹と、次はいつ酒を飲ませようかなぁとほくそ笑む太上老君の姿があったとかなかったとか。







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  1000ヒットありがとうございますフリー小説です。
  フリーなのに、こんないかがわしいもので大変申し訳ないです…っ(汗)
  いや、最初はもっと爽やかなものに…しようと…思……

  小説はこんなんですが、1000ヒットほんとにありがとうございます!
  これからもTELANTHERAをご贔屓にv

  
07/6/4

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