――老子、老子…、あの…。
  ――ん?なぁに?
  ――……やっぱり、いいです…。
  ――えー?そんな言い方されると気になるよ、申公豹。
  ――いえ、本当に…なんでもないです。
  ――そうなの…?
  ――ええ。


  …やはり、聞いておくべきだったのだろうか。24日、予定空いてますか、と。





    聖夜を駆ける 後編 






  交差点の向こう、見間違えるはずのない鮮やかな浅葱色を目にして、申公豹は目を見開いた。
  どうしてこんなところに…?
  太上老君の自宅からこの場所までは電車で1時間ほどかかる。気まぐれで寄るとは考えにくい。
  

  まさか、会いに来た…?


  そこまで考えて、申公豹は勢いよく身を起こした。
  楊ゼンとの距離が、予想以上に近いことを思い出したからだ。
  こけそうになった所を助けてもらったとはいえ、傍から見れば抱き合っているように見えなくもない。
  申公豹は、太上老君に誤解されるのは避けたかった。


  「先輩…?大丈夫ですか?」
  「あ、はい…ありがとうございます…。」


  動揺を隠して、申公豹は苦笑いで楊ゼンに返した。
  自然に離れて、何でもない風に。
  やましいことなんて何もないじゃないか。
  目をつぶって、ゆっくりと息を吐いた。白い息が溶けた。


  「どうかしたんですか?」
  「いえ…少し知り合いが…そこ、に…?」


  楊ゼンの声に目を開いて、もう一度前方を見た申公豹は、もう一度目を見開いた。
  先ほどまであった太上老君の姿がそこにはなかった。
  見間違いだったのだろうか?


  「知り合いですか?あ、もしかして緑の髪の?先輩に負けず劣らずの珍しい色でしたね。」
  「え、ええ。」


  楊ゼンも見ているということは、やはり、見間違いではない。
  こちらに気づかなかったのだろうか。
  いや、でも確かに


  確かにあの金色の目が私を捕えていた気がするのだ。


  「先輩、さぁ、入りましょう!」
  「!あ、はい…」


  もやもやした気持ちを抱えたまま、申公豹は楊ゼンに促されてデパートの自動ドアをくぐった。
  暖かい空気が身体を包む。店内は客でごった返していた。
  家族、恋人、夫婦、友達、個人、色々な関係で繋がれた人もそうでない人も、こぞって買物をしている。
  煌びやかな装飾も、音楽も、目の前にずらっと並んだケーキも、気分を盛り上げるにはうってつけのはずなのに申公豹は先程の一件が気になって少しも楽しめない。
  それどころか、辺りで恋人同士が楽しそうにしているのを目にするたびに、自分はこんな所でこんな事をしていて良いのだろうかと思ってしまう。


  仕事が早く終わった老子は、私に会いに大学の近くまで来てくれていたんじゃないのだろうか。
  私と楊ゼンが一緒にいるのを見たのではないのだろうか。
  だとしたらなぜ老子は追いかけてこない?
  あの人の性格はこの一年近くで少しは理解したつもりだ。
  私が他の男と歩いていて――しかもあんな体勢だった――そのまま見逃してくれるような、かわいらしい性格ではないはずだ。
  絶対こちらに割って入ってくる。
  そして当然のように私の手を取って、相手には笑顔と捨て台詞なんかお見舞いして、私を攫っていくはずなのだ。
  絶対、そうなるはずなのに。


  どうしてですか…?


  ぎゅぅうと申公豹は服を握った。
  心臓が同じような音を立てて締め上げられているような気がした。
  何が不安なのかと問われても、うまく答えられないけれど、とにかく不安で仕方がなかった。
  

  「先輩はどのケーキにします?」


  ハッとなって申公豹は楊ゼンの顔を見た。
  不安そうな顔そのままで見てしまったので、楊ゼンは心配になって、気分でも悪いのですかと、問いかけた。
  申公豹は一度ふるりと頭を振って、目の前のショーケースを見つめる。
  イチゴ、チョコ、フルーツ、どれも美味しそうなのに、どこか味気なく見える。
  原因は一つだった。そしてそれを解決する答えを申公豹は持っている。
  

  「これください…!」
  「え、先輩それホール…」
  「いいんです、…楊ゼン、すみませんが、」


  店員が簡易包装を終えたケーキの箱を申公豹が受け取る。そして金額ちょっきりのお金をカウンターに置き…


  「――帰ります!」


  驚いている楊ゼンに申し訳なく思いながら、申公豹はその場から走り出した。


  デパートの入り口を出れば、粉雪が舞っていた。
  白金の髪の青年がベルの音が響く通りを駆け抜ける。
  普段運動をしていないから、すぐに息が上がってしまう。



  あいたい。
  はやくあいたい。


  ねぇ老子、知ってますか。
  楊ゼンにケーキを買いに行こうと言われて、まっさきに思ったのは。
  貴方と一緒にケーキを食べたら、きっとすごく美味しいだろうってことだったんですよ。













  ピンポーン。


  申公豹は太上老君の家のインターホンを押した。
  走りに走ったせいで、まだ息が整わない。膝に手をついて、重い扉が開くのを待った。
  疲れすぎてケーキの箱でさえ申公豹には重く感じられた。


  ガチャリと扉の開く音がして、申公豹は顔を上げた。
  群青と金が交差する。部屋着の太上老君は申公豹を見て目を見張っていた。
  申公豹はまだ息が整わないままだったが、太上老君が何か言いだす前に、とりあえず言いたい事を言ってしまいたくて口火を切った。


  「今日一緒の…っ、楊ゼンは…っ…ただの後輩、ですからね…!!」


  だから余計な誤解も不安も不要です!と続けたかったのだが、息が上がってむせてしまった。
  太上老君は別に申公豹と楊ゼンの仲を勘ぐってはいないのかも知れなかったが、申公豹はとにかくそれだけは伝えておきたかった。
  むせたせいで下にさがってしまった目線を上にあげる。
  こちらに伸ばされる腕が目に入って、次の瞬間には綺麗に抱きすくめられていた。
  顔が見えない。
  薄い生地を通して、心音が聞こえてくるのが無性に心地いいと申公豹は思った。


  「……かわいいなぁ…」


  しばらく黙って何を言うのかと思えば、太上老君の開口一番はそんなセリフ。
  おまけにそのまま肩を震わせて笑い始めたので、さすがの申公豹もむくれた。


  「……笑うところではないです。…真剣に聞いてますかあなたは…!」
  「うん、ちゃんと聞いてる。不安だったんでしょう?私に愛想尽かされたと思って。」
  「な、」


  申公豹は違うと全力で否定したかったのだが、よくよく考えてみるとその考え方が一番しっくりくるような気がする。
  自分が他の男といても老子が介入してこない→そんな状況に特に関心がない→→→愛想尽かされた。  
  つまりはこんな具合の思考回路だったというわけらしい。
  もやもやして、ぐるぐるして、訳が分からなくなるそんな時、太上老君はその気持ちに名前を付けてくれる。
  するとあれだけざわついていた気持ちがすとんと落ち付いて、凪いで。
  申公豹は目の前の彼をより一層いとおしく思うのだ。


  「ねえ、そうでしょう。」
  「そう…みたいです……あの、老」
  「言っとくけど、愛想尽かしてなんかないからね。私の辞書にも我慢って文字は載ってるんだよ。
   まぁ、あれがそこら辺のおっさんだったら迷わず君を連れ帰ったけれど。あの蒼い子は大学の友達かなんかだろうなぁーって、なんとなく分かったし。」


  遠慮したわけ、と太上老君は言った。それからまたクスリと笑う声が聞こえる。



  「あーでも、君がこんなに走ってここに来るってことは…――邪魔してほしかったのかな?」



  かぁっと申公豹の頬が染まる。
  太上老君の言葉に違うともそうだとも返せなくて、ただただ顔に熱が集まるのをやり過ごすしかなかった。


  抱きしめられていた身体が離れると、太上老君が申公豹の手を引いた。
  繋がった手の温度の差に、太上老君が顔をしかめた。


  「申公豹、走って会いに来てくれたのは嬉しいけれど、その格好じゃ風邪をひいてしまうよ。」


  雪の降る中傘もささずに来た申公豹のコートは、雪がへばりついて氷のようになっていた。
  当然外気に直接触れている頬や手は冷え切っている。
  走ったせいでそれなりに汗もかいてるだろうから、このままでいると風邪をひくのは間違いないだろう。
  繋いだ手を緩く握りなおして、太上老君がもう一方の手を差し出して言った。


  「おいで。」


  あったかいお茶でもいれてあげる、と太上老君は微笑んだ。


  「おや。あなたが自分からもてなすなんて、明日は大雪ですかね。」
  「ひどいなぁ、私だってお茶くらいは淹れられるから安心して。」


  軽口を叩いて、同じように微笑んだ申公豹が手を重ねようと伸ばす。
  そこまで来てやっと、自分がケーキの箱を持っていたのだということを思い出した。


  「あ。」
  「それなに?」
  「クリスマスケーキです。楊ゼンと買いに行ったのですよ。」
  「あーなるほど。…空けてもいい?」
  「どうぞ。下支えてますから、開けてください。」


  正方形の簡素な箱のリボンを解いて、太上老君がゆっくりとふたを開ける。
  ケーキを二人で覗き込んで、同時に同じような声を上げた。


  「「あ゛。」」


  箱の中のケーキは、かろうじて原形を留めているものの、サンタやらトナカイやらの飾りは生クリームに顔面からものの見事に突っ込んでいた。
  デコレーションは多々飛散している。
  申公豹の顔が赤くなるのに比例して、太上老君の笑い声が大きくなる。


  「っ…こ、こんなになるくらい…クスクス…走ってきてくれたんだね。」
  「わ、笑いすぎなんですよあなたは!!いいじゃないですか別に!胃に入れば皆同じですっ!!」


  笑われるのに居た堪れなくなった申公豹は、ケーキを太上老君に押しつけて、早歩きで家の中に入って行ってしまう。
  耳まで赤いのが見えてしまって、また笑ってしまった太上老君がその後を追いかける。


  「申公豹、言い忘れてたよ。」
  「…なんです。」



  “Merry Christmas to you!”



  太上老君は追いついたその耳に囁いて、まだ冷えた頬にキスを送った。














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  冬です!クリスマスです!甘アマです!…っ…ort
  申公豹が焦ったりドジ踏んだりするのが書きたかったのでそこら辺は個人的にクリアしてるかな…と思います。
  しかし…自分で書いといてなんですが楊ゼンがあまりにも不憫なので今度は楊申で幸せなやつを…!!
  ここまで読んでくださってありがとうございました。
  皆様メリークリスマス!

  08/12/23

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