ご先祖様に礼拝を
ソファの近くの窓からもれる光で目が覚めた。
見慣れない天井に首を傾げるが、すぐに思い当って納得した。
(時空をとばされたのだったな…。そしてここは昔の老子の寝床…。)
昨日の出来事を頭の中で思い描きながら居間を見渡す。そこにはまだ誰もいなかった。
「ふむ…。老子はきっと遅いだろうし…というか起きてくるのかも怪しいのう。申公豹は…」
昨日申公豹が運ばれた、寝室を見遣る。
人が動いている気配はなく、まだ眠っているのだろう。
「寝てる…か。」
行くべきか、行かないべきか。
そう思案していると、当の本人が寝室から出てきた。
わしの姿を見て、一瞬目を見張る。次にふっと低くなる室温。申公豹の目は敵対者や不審者を見る目だった。
「…どちらさまで?」
昏い目に射抜かれて、たじろぎそうになる。
ごくりと息をのんで、昨日の話をした。
すると、強く射抜いていた群青の目が不安定に揺れ、見る間に弱々しくなっていく。
元々白い肌は青みを帯び、手の震えを隠すようにぎゅっと拳が握られた。
「あ、の…老子は…老子は、怪我を…?」
「怪我?」
そう言えば、頬に一筋。
そう告げた途端、さっと顔色を変えた申公豹が老子の寝室に向かって走りだした。
わしは慌てて後を追いかける。
寝室の扉を開けると、まだ老子は寝息を立てていた。
荒々しく部屋に飛び込んだというのに、覚醒する気配すらない。昔から寝穢ないらしい。
すやすやと眠っている顔を、申公豹が見下ろしていた。
白い指先が、浅く走った頬の傷に触れるか触れないかという所で逡巡している。
「老子…。」
後悔しかないような声で申公豹は師の名前を呼んだ。
その声は消え入りそうなほど小さかったのに、老子はぱっと眼を開けた。
まどろんだ様な金色の目が、申公豹を捉える。
「なに、泣きそうな顔をしているの。」
「っ…だって、私、また…!また、我を忘れてしまってっ…あなたに…傷を…っ…」
「こんなの、傷のうちにも入らないよ。それに昨日の君は力を暴走させてない。それだけでも進歩だよ。」
「しかし…っ」
謝罪を続けようとする申公豹の唇を人差し指で制し、老子はぽんぽんと白金の髪を撫でた。
なだめる様なそれに、申公豹が口を閉ざす。
その様子に老子は満足げに口角を上げた。
「さぁーて。お客さんもいることだし、起きようかな。…おはよう、申公豹。」
「…。おはよう、ございます、老子。」
仕切り直し、というように老子は愛弟子に朝の挨拶を贈る。
そしてそれに応えた申公豹が、そのまま老子の唇にキスをした。
…ん?キス?
「ッなぁああああ!?」
「なぁに、うるさいなぁ。」
「な、何はこっちの台詞だ!!!何をしておる!?」
「なにって…朝の挨拶ですよ?」
なにか可笑しなことでもあるのか、と申公豹が真顔でこちらを見てくる。
一方老子はというと、そうそう挨拶挨拶、などと言いつつ猫のように笑っている。犯人はお前か。
「おぬし何を間違った教育をしておるのだ!!」
「何の話かさっぱりわからないね。」
老子はしれっとそういって、わしの横をすり抜けていく。
申公豹がそれに続き、リビングに足を踏み入れたその時だった。
ずきん、と頭に痛みが走る。
「まさか…」
ずきずきとどんどん頭痛は増してくる。
痛みに顔をしかめていると、老子が近寄ってきた。
「時空が、歪んできたね。」
「そう、みたいだ、のう…」
身体が宙に浮くような、足が地についていないかのような感覚がする。
もう何度目かになるがこの感覚には本当に慣れない。
苦痛に耐えていると、衣擦れの音がして老子の手がわしの額に触れた。
ふっと淡い光がもれて、今までの苦痛が嘘のように和らいだ。
「な…?」
「時空を渡るにはコツがいる。場所や時間の操作はしてあげられないけれど、これくらいならしてあげる。」
「…かたじけない。」
「…ねぇ、太公望。一つ聞いても良いかな。」
「?」
「君は、未来のあの子の、なに?」
感情の読めない笑みを湛えて老子がそう問う。
後ろには、不思議そうにこちらの様子を見ている申公豹が見えた。
この前の時空であった申公豹は、この時空の申公豹よりも昏い目をしていた。
表情も硬く、無機質だった。
それがここまで回復したのは、きっと老子の力なのだろう。
そう思うと、自分と二人にどうしようもない距離を感じた。
その距離が歯がゆくて、そして悔しかった。
だから、最後に一つぐらい、嘘をついても許されるだろうと思って、
「恋人だ!」
と、歯を見せて笑ってやった。
その時の老子の顔といったら、まるで一人娘を男にとられた父親の様で、思わず吹き出してしまいそうだった。
「…君ってやっぱり気に入らないよ。」
眉間にしわを寄せてそう呟く老子を見届けて、わしは時空の狭間に堕ちていった。
次の時空へ飛ぶ
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4つめ。もはやお題は空気と化していますねすいません…。
老→申←太 うーん、この構図いいですねー(笑)
おはようのキスは大分前にどこかで書いたもの(もはや拍手だったのかなんだったのかさえ覚えてませんが;)を踏まえております。
これが朝のあいさつなんだよーって老子が何も知らない申公豹に教え込んでおります。
さてー、次で最後かー。
12/11/26
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